むかしむかし。
幼児向けの絵本の中にその言葉が登場する。
むかしむかし、白雪姫はやって来た白馬の王子にキスされて目覚め求婚される。玉の輿。むかしむかし、シンデレラはガラスの靴を落として、王子に求婚される。玉の輿。むかしむかし、茨姫は錘に手を刺して深い眠りにつき、それを隣国の王子が助け求婚される。玉の輿、とは言わないかこれは。彼女はもともと同じ世界の人間だったんだから。
「じゃあさ、私は何?」
執事という名の用心棒。真選組・鬼の副長土方十四郎。隊服ではなく燕尾服で私にコーヒーを入れてくれている。彼以外にも部屋の出入り口は勿論のこと屋敷中に多数の隊士が見張っている。それもこれも予告誘拐を企てるヤツがいる所為だ。するなら私じゃなく、お爺様本人を狙ってくれ。
「行儀の悪いお嬢様だな、テメーは」
「世間一般のイメージを私に押し付けないでくれる? 可憐で、健気で、上品でなんて今時希少種なんじゃない?」
テーブルではなく、ベッド上で胡坐を掻きながら私はそれを受取った。ブラックが一番よね?なんて言いながら。
「そこの絵本取ってよ」
本棚を指差す、けれど鬼の副長殿は「それくらい自分で取れよ」と不服そうに眉を顰める。
「あのね、自分の立場わかってる? 今私はお嬢様、貴方は執事なのよ。私の言うこと聞きなさい」
今、なんてむかしがあるようじゃない。今も昔も関係なくこの先ずっと、私はお嬢様なのに。
彼は「ヘイヘイ」とボヤキながらも私が指定した絵本を持ってきた。
「この本だけ、古いのな」
世界のプリンセスの話だけが集まっている絵本。小さい頃にお爺様が買ってくれた、けれどそれ以降カードを渡され「好きに買いなさい」とプレゼントをもらうことはなかった。
「この本見てるとね、いつも思うのよ。“むかしむかしのプリンセスは、本当に幸せだったのかな?”って」
最後を締め括る「末永く幸せになりました」という言葉。信じていないわけでもない。けれど玉の輿という檻の中に入った彼女らはきっと今までの暮らしとは違う場所にいる。それに対して悩むことも戸惑うこともあると思うのに。
それとも可憐で、健気で、上品なプリンセスならば誰でも幸せになれるというのか?
「ねぇ、誘拐されたいって言ったら、怒る?」
窓から見える景色が、私の世界の一部だなんて笑ってしまう。シンメトリーの庭園や、豪奢な館は私のためにあるわけではないから。
「ここから逃げ出したいって」
与えられるものだけで満足したくない。私も誰かに与えられる、そんな存在になりたい。
「怒りゃしねーよ。ただどんな理由があったって全力で止めるだけだ」
彼は懐から煙草を取り出し、そこに火を吐けた。紫煙が天井に吸い込まれてゆく。
「ここ禁煙だよ。私吸わないから」
「固いこと言うなよ、そういう几帳面な柄には見えねェけどな」
確かに、と笑う。そうすると彼も笑う、かすかに目を細める程度だけど。
「ねぇ、貴方にさ。私を連れ出してって言ったら、どうする?」
貴方私の執事でしょ? 私の願い叶えてよ。
そう小声で呟く。無理だと承知しているから。案の定彼は嘆息を吐き、そうよねと私も吐息を零す。
「どうしても外に出てェんなら、自力で外に出て来い。お前のお爺様という奴がそれを簡単に許すとは思えねーがな。まぁ、何もかも捨てて飛び出てくんなら、家ぐらい恵んでやるよ」
その言葉には俺は一切関知しないという言葉の響きが漂ってくる。
「ってことはさ、もしそうなったら私と同棲してくれるってこと?」
そんなことは言ってねェと若干慌てる彼であったが、ほんのり頬が色付いたのを私は見逃さない。
たとえその言葉が冗談であったとしても、ありがと、とお礼を述べておく。そうすると彼は私の頭を撫でてくれた。その手は酷く優しい。
「ったく、お嬢様は面倒臭せーな」
泣くんじゃねーよという言葉に、泣いてないよ。と私は返す。
「泣くのはまだ早いでしょ? とりあえず、誘拐犯捕まえてよ。誘拐犯でじゃなく、私は自力で外に出たいんだから」
むかしむかし、プリンセスという地位を捨てひとりの男のもとにやってきたという娘がおりました。そして世間知らずな彼女はそんな彼と共に色んな苦労を体験し今までのように人から何もかも与えてもらうのではなく、人に優しさを与えられるひとりの女性に生まれ変わりました。
そうしては末永く幸せになりましたとさ。
そんな話があっても良いじゃないか。まぁ、私はプリンセスではなくただのお嬢様だけど。
「私は絶対叶えてみせるから、覚悟しといてよ」
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