冷たい窓ガラスに額を押し付けて、は窓の外を眺めていた。
はらはらと空から舞い散る粉雪に彼女が見入ってから、どれだけの時間が経っただろうか。

「お嬢様、紅茶をお淹れしました」

温めたのお気に入りのティーカップにたっぷりと紅茶を注ぎ、ティキは彼女に声を掛ける。

「・・・ありがとう、ティキ」

はティキを振り返り、ふわりと微笑むと、ゆっくりとした足取りで彼の待つチェアへと近付く。
ティキは慣れた動作でチェアを引き、が腰掛けられるようにした。

「もうすぐ、あなたと出会ってから3年が経つのよね・・・?」

疑問形なのは、はそのことをティキから聞いただけで、彼女の記憶にはないから。

「・・・はい、そうですよ。お嬢様」

初めてと出会った時、彼女はまだ少女だった。
元気で、悪戯が大好きで、いつも愛らしい笑顔を振りまく、そんな女の子だった。
1年前、不慮の事故で両親を亡くし、一人ぼっちになるまでは。

「せっかくだから、何かプレゼントをしたいのだけれど・・・」

「とんでもございません。身に余る幸せです」

両親を一度に亡くしたショックで、は倒れた。
そして、次に目覚めた時、彼女は何も覚えていなかった。
自分の名前も、両親の死も、ティキが彼女の執事だということも。

「いいのよ、私がプレゼントしたいのだから。そうだわ、明日一緒に街まで出掛けない?」

大きすぎるショックのせいで、記憶喪失になったのでは・・・と、医者は言った。
そして、意識は回復したものの、の体は以前の彼女からは想像もできないほど弱くなっていた。

「外の寒さはお体に障ります」

「大丈夫よ、暖かい格好をすれば。そうでしょう?」

には、彼女の両親は遠い国に仕事で出掛けていると嘘をついた。
全てを忘れてしまったに、ティキは過去のことを一つずつ教えた。
とティキが出会った日のこと、彼女の幼い頃の話など、絵本を読み聞かせるように、全て話した。
両親の死以外で、たった一つ隠していることを除いては。

「ティキ、お願い。いいでしょう?」

記憶をなくし、世界で一人ぼっちになってしまったが頼れるものは、ティキしかいない。
の白くて細い指が、ティキの手袋をした手にそっと触れた。

「・・・かしこまりました、お嬢様」

ティキは床に片膝をつき、のその手を持ち上げると、恭しく彼女の手の甲に口付けた。

「仰せのままに」










 病室のベッドに横たわるを、ティキは静かに見つめていた。
両親の訃報を聞いて倒れてからもう5日が経ったが、彼女の意識は依然戻らない。

「お嬢様・・・」

晴れ渡った空のように輝いていた瞳は、伏せられたまま。
健康的な桜色のぷっくりした口唇は、閉じられたまま。
まるで人形のように眠り続けるを、ティキは打ちひしがれた声で呼んだ。

「目を覚ましてくれ・・・でなきゃ、オレは・・・」

湧き上がる劣情を抑える理性は、もうティキには残っていなかった。
の顔の横に手をつき、ティキは顔を寄せる。
自分を兄のように慕い、甘えていたの記憶が、一瞬脳裏をよぎった。

「・・・・・・」

雇われて以来、初めて「お嬢様」ではなく、彼女の名前を呼ぶ。
そして、そっとの口唇に、ティキは自分のそれを重ねた。
執事として、人間として、赦されない過ちだと知りながら。










 だから、これは贖罪なのだ。
あの日、純真なあなたを穢してしまったことに対しての。
赦されないとしても、この手を、この身を、あなたに捧げよう。



この手はあなたに仕えるために

2008.11.25 『Project Butler』様に提出 / Written by 朱李[Rosette.] / Photo by 戦場に猫