「お嬢様、御夕食はどうなさいますか」
「・・・いい、後でもらうわ」
「わかりました」
わざと耳元で低く呟く。
まるでの反応を楽しむかのように。
ムッとした表情で振り向くと、どうかなさいましたか?と訊かれる。
見た顔がとても綺麗で、一瞬言葉に詰まったなんて言えるはずが無い。
「何でもない」と素っ気無く答えて、は柳から顔を背けた。
真夜中のキッチンで
夜の1時。
使用人達も寝静まった中で、静かに階段を下りる影が一つ。
月明かりに顔を照らされたは、眩しそうに光を手で遮って階下へと歩を進めた。
入ったのはキッチン。
大きい屋敷の中で、あまり中へは入ったことの無い場所だ。
はここで料理の練習をするつもりだった。
幼い頃から"危ないから"と言って遠ざけられていた場所だが、今ではそんなに幼いわけでもない。
とりあえず、扉を開けて中を覗く。
「冷たっ・・」
触れた所がじんじんする。
冷凍庫だった・・・らしい。
今度こそ冷蔵庫を開けて、最初に手に取ったのは卵だった。
包丁を出してきて、試しに手に持ったそれでつついてみる。
・・・割れない。
はまな板を出して、その上に卵を置いた。
包丁を持つと、切ろうとした。
「きゃっ!」
当たり前に生卵がぐしゃりと潰れて、中身がこぼれてきた。
慌てて布巾で拭くが、勢いで台に置いた包丁を落としてしまった。
いくら世間知らずでも、包丁が刺されば痛いことくらい分かる。
痛みを覚悟して目をぎゅ、と閉じた。
「危ない」
声と同時に肩を押される。
少しよろめいて、はおずおずと目を開けた。
「何ぼーっとしてる。刺さるぞ」
「蓮・・・柳」
「大丈夫か?」
「ええ・・・あっ」
器用に包丁をキャッチしたと思っていた指から、血がぽたりと落ちたのを見て、は慌てた。
「手から・・・血が出てるわ!」
「見ればわかる」
「じゃなくて!」
確か絆創膏は・・・どこだったかしら。
キッチンのすぐ横の棚に、いろいろ使う物が入っているのを見たことがある。
後ろから足音がした。
「棚の5段目右から3つ」
引くと柳の言ったとおり、救急セットが一式入っている。
何に使えば良いのか、検討がつかないものもあった。
「手、出して」
「出来るのか?」
意地悪に訊かれて、は思いっきり消毒液を傷にかけた。
柳の口から「うっ」と痛そうな言葉が漏れる。
「私にそんなこと言ってたら、あなた解雇されるわよ」
「何をしていた」
「・・・何のことよ」
「キッチンで何をしていたか、訊いている」
柳の質問は無視して、は絆創膏のテープをはがした。
貼ろうとして―――絡まってしまう。
もう1つ出して、テープをはがして、絡まった。
3つ目を出してきたところで、柳の手がを制す。
自分で貼るとでも言いたげに引っ張られた絆創膏の端を、は離さない。
「貼れないだろう」
「貼れないけど!・・・・教えてくれたって良いじゃない」
「・・・・・お嬢様にはまだ早い」
少しだけ口角を上げて笑ったかと思うと、柳はスッとの手から絆創膏を取り上げた。
「あっ」
「そんな苦労する必要も無ければ、可能性も無い」
「あなたの計算で出てきた確率?」
「そうだ」
「私はもうこの家を出たいの。その確率は0%だわ」
「あれではろくに生活もできないぞ」
後ろの惨事に指を指して、柳が言う。
その指には綺麗に貼られた絆創膏があって、は余計にムカついた。
「だから!こうして練習してるんじゃない」
「卵の割り方もわからないのに?」
「・・・うるさいわよ」
柳の言うことはムカつくが、何もかも的を射ていて言い返せない。
幼い頃から柳は敵わない相手だった。
同い年なのに、頭はいいし気が利くしで、いいこと尽くめ。
唯一敵ったことと言えば、自分の家の方がお金持ち。
親の力でしか勝てない、そんな力の差だった。
それなのに、わざわざ自分の下に仕える者として出てくるなんて・・・。
最初は驚いて、何かあるんじゃないかと疑ったりして・・・・。
でも今ではずっとついてくるような執事と化していて、離れることはあまりない。
2人きり以外では敬語もちゃんと使うし、身のこなしも完璧、周りからも評価は高い。
「お嬢様?」
「・・・何かしら、柳」
意地を張るを笑う。
そんな柳をキッと睨むと、は疲れたようにしゃがみこんだ。
「お嬢様、そろそろお休みになられた方が」
「・・・芝居はもういいわ」
受け止めた柳の手をはらって、が立ち上がる。
「あなたは私の執事、使用人よ」
「・・・・・・・・・・」
「それ以外は付きまとわないで。料理の練習も1人でやるわ」
「でも」
「出て行って」
「私が貴女の使用人だと言うのなら、出て行きません」
「出て行ってって言ってるでしょう!」
振り向かないでが言う。
しかし、柳は無視してに近づいた。
「それは無理です、お嬢様」
「・・・・・・あなたは私に仕える必要などないわ」
「ある」
「どこに」
「私は・・・、お嬢様のそばで、お嬢様を御守りする身です」
「・・・・蓮二は私より何でも優れているのに、なんで」
「お嬢様」
「私は、お嬢様らしくも振舞えない上に何も出来ないし、知らないし」
「料理もあんなのだし、ですか?」
低く笑う声が聞こえて、は涙を溜めた目で柳を睨んだ。
瞬きをした瞬間に涙が頬を伝うと、堰を切ったように次々と涙が溢れ出した。
すぐに柳はどこからともなくきれいな布を出してくると、膝をついてそれをの目元に当てた。
「こら、泣くな」
「・・・っ・・だからっ・・・もうそれなら優しくしないで!」
「、」
「私は、もう蓮二のことは・・・・」
「泣くんじゃない・・・」
急に柳の声が切なげに響いて、は心の中だけで驚いた。
の止め処なく流れる涙を拭うこともせずに、柳は少し俯いた。
目元にあった手が首の後ろにするりと回って、次の瞬間、は柳の腕の中にいた。
「きゃっ・・・」
「お前は、自分の事を卑下しすぎだ」
「蓮二、」
「屋敷を出るなんて言うんじゃない。お前はお嬢様で、俺はお嬢様の執事だ」
声と共に、耳に息がかかった。
強張った体を抱きしめていた柳の手が緩んで、右手が頬に添えられる。
真っ直ぐにを見た瞳に、は動くことが出来なかった。
少し温かい、優しい感触を唇に感じて、慌てて口元を押さえる。
「なのに、こんなことをしたいのは、おかしいか?」
「・・・なんで、蓮二」
「・・・俺はお前が好きだと言ったら、おかしいか?」
「蓮二、」
「俺はお前が好きだから仕える。その理由で、そばに居てはいけないのか?」
「・・・・蓮二」
「・・・・・・・・・・」
「いてほしいって、私が何でも出来る様になるまで、ずっとそばにいてって言ったら、いてくれる?」
白い頬に紅が入って、が呟くようにそう言った。
反射的に伸ばした手を、頬ではなく頭に置くと、そのまま引き寄せる。
「蓮―――」
「・・・・・仰せの通りに」
「そう」、と震える声で、が言った。
柳の腕の中で、が安心したのが伝わってくる。
疲れたのか、少しした後に寝息が聞こえてきたのに微笑みを向けて、抱き上げた。
「何でも出来るように、ならせるわけにはいかないな」
ふ、と笑う。
そんな呟きなど聞こえていないだろう彼女の瞼にキスを何度か落として。
重なる影を、いつまでも月明かりが照らしていた。
fin
テニスの王子様、立海大附属より柳蓮二君でのお話・・・でした。些か柳君に自信がないですが;
お読みいただきありがとうございました。
Project Butler様、参加させて頂き多謝です!
月村時音